道具に、どこまで任せるか ― 作り方そのものが変わろうとした月の記録
Jul 26, 2026
毎月、AI関連の発信を集めて、整理しています。曲を作ったり、絵を出したりしながら、道具の側で何が起きているかも、並べて見ています。6月のクリエイティブ分は、36件でした。
並べ終えて、目が留まったのは、新しいモデルの数ではありませんでした。道具の側で、作り方そのものが変わろうとしている。 そのことでした。
これまで、AIで何かを作るときの入口は「プロンプトを書く欄」でした。6月は、その欄だけに頼らない動きが、いくつも重なった月です。作りたい物を書けば、あとはやってくれる——そういう方向へ、道具がそろって動きました。
これを、自分の作り方に当ててみます。
今月、道具の側で起きていたこと
一つ目。複数のプラットフォームが、単発の「プロンプト入力欄」を入口の中心から外しはじめました。 ある動画ツールでは、作りたい動画を一言で伝えると、エージェントがコンセプトを提案し、場面ごとにモデルを選び、音まで載せて仕上げる、と報じられています。人が指示を書くのではなく、人が完成形を述べ、道具が工程を組む。そういう形です。
二つ目。その動きが、毎日開く道具にも入ってきました。 Adobeが、PhotoshopやPremiereといったソフトに、工程を担うエージェント機能を載せはじめた、と報じられています。新しいアプリの話ではありません。すでに手に馴染んでいる道具の中に、同じ変化が入ってきた、ということです。
三つ目。作る側の中で、受け止め方が割れました。 ある著名な映画監督が、AI画像の会社の顧問に就いたと報じられ、まもなく美術監督の組合から強い反発が起きた、と伝えられています。歓迎する人と、拒む人が、同じ業界の中にいます。
三つとも、「どのモデルが一番きれいか」の話ではありません。「作ることの、どこまでを道具に渡すか」の話です。
わかったこと1:工程を渡すほど、なぜそうなったかが、手元に残らない
工程を任せられるのは、楽になる話に聞こえます。実際、楽にはなると思います。
ただ、楽になるということは、何かを手放すということでもあります。
私は、曲を作るとき、逆のことをしています。道具を使う前に、まず頭の中にあるものを、外に出そうとします。前に一度書いたことがあります——頭の中にあるものが外に出てこないことには、AIを活用することはできない、と。
プロンプトを書く欄は、私にとって、面倒な入口ではありませんでした。 そこで初めて、自分が何を作りたいのかを、言葉にしなければならない。書いてみて、思っていたのと違う、と気づく。作りたいものが何なのかは、その欄の前で、はじめて分かることが多いのです。
その欄がなくなると、その「気づく場所」も、一緒になくなります。出てきたものは、たしかに速い。けれど、なぜそうなったのかが、自分の中に残りません。
わかったこと2:任せられるのは工程まで。線は、自分で引く
とはいえ、全部を否定したいわけではありません。
面白いのは、こうした道具を誰よりも使い込んでいる人でさえ、自分でプロンプトを書き、参照する画像を添えることを、引き続き勧めていることです。全面的に任せてしまえ、とは言っていない。道具が進んでも、自分で決める部分を、手放してはいない。
つまり、道具に決めさせる部分と、自分で決める部分の、あいだに線があります。そして、その線をどこに引くかは、道具が決めてくれるものではありません。 自分で、その都度、引くしかない。
道具は、目的地までの道は組んでくれます。けれど、どこへ行きたいのかは、いまのところ、自分にしか分かりません。
AIに渡せるものと、自分の手元に残すものを、一本の線で分けて示します。
図1|工程と判断のあいだに、自分で線を引く
出典:本記事の本文をもとに鳴海貴慶作成。
ここで大切なのは、道具の能力ではなく、境界線を引く主体が自分に残っていることです。
わかったこと3:どこに線を引くか、まだ誰も答えを持っていない
その線を、どこに引くのか。作る側の中で、まだ答えは揃っていません。
さきほどの、監督と組合の話が、そのまま表れています。AIの道具を受け入れるのか、拒むのか。同じものを作ってきた人たちの中で、判断が割れている。
そして、これは工程の話だけではありません。同じ月に、AI音楽の開発で流通してきた複数の公開データセットに、大量の楽曲が含まれていたことも、検索可能な形で報じられました。権利者の許諾が得られていたかは、個々に確認が必要です。私も、音楽を作って公開している側です。これは、他人事ではありません。
何が良くて、何が駄目なのか。まだ、共有された答えがない。だからこそ、一人ひとりが、自分の線を引くしかないのだと思います。私も含めて。
おわりに
一つだけ、問いを置いて終わります。
あなたがAIに任せているのは、工程ですか。それとも、判断ですか。
道具は、来月また変わります。今月覚えたやり方は、来月には古くなっているかもしれません。
変わらないのは、何を作りたいのかを、自分が知っているかどうかだけです。そこは、どのモデルも代わってくれません。
工程は、渡せます。渡しても、作ったものは、自分のものです。判断まで渡すと、出てきたものが、なぜそうなったのか、自分でも分からなくなります。
私は、工程は預けても、判断は手元に置いておこうと思います。
このクリエイティブの月次の整理も、自分のために続けているものです。まとめそのものは、円卓(QAIラウンドテーブル)の中に置いています。
AIと人の協働について、構造から考えた記録を、ほかにも書いています。
考え方の記録を、ときどきお届けします。
AIと人の協働について、構造から考えたことを、メールで少しずつ。
急かすことはしません。よろしければ、どうぞ。
迷惑メールは送りません。いつでも解除できます。