性能が良くても、使えなくなることがあります ― AIに規制が降りてきた月の記録

ai ガバナンス 生成ai Jul 18, 2026
性能が良くても、使えなくなることがあります(2026-07-18)

毎月、AI関連のガバナンス、法規、訴訟の発信を集めて、整理しています。自分の仕事のために続けているもので、6月分は51件になりました。

並べ終えて、手が止まりました。

先月起きたことの多くは、新しい機能の話でも、性能の話でもありません。誰が使ってよいか。どこまで渡してよいか。間違えたとき、誰が責任を負うか。 その話ばかりでした。

AIが「製品」から「規制の対象」へ移った月だった、と言っていいと思います。

そして、この移り方を、私は前の仕事で一度見ています。

6月に表に出たこと、三つだけ

51件のうち、重いと思ったのは三つです。

一つ目。最上位級のモデル、Claude Fable 5が、公開から三日で止まりました。 性能に問題があったからではありません。米国の輸出管理の対象となり、外国籍の利用者に渡せなくなったためです。即時に国籍を確認する手段がなかったとして、提供会社は全利用者への提供を止めました。停止は三週間近く続き、月末に措置が解除されて、翌日の7月1日、復旧しました。

二つ目。ドイツのミュンヘン第1地方裁判所が、GoogleのAI Overviewによる要約を「独自に生成された表現」とみなし、この事案でGoogleを直接の責任主体と判断しました。 検索結果の上に表示されたAIの要約に、根拠のない誤った内容が含まれていた件です。

三つ目。OpenAIのGPT-5.6が、一般公開ではなく、政府の要請を受けた限定プレビューから始まりました。 開発会社は公開前にモデルの計画と能力を政府へ共有し、参加組織も政府と共有する形を取りました。

三つとも、「速いか、賢いか」の話ではありません。「誰に、どこまで出してよいか」の話です。

わかったこと1:性能ではなく、認められたかどうかで、使えるかが決まる

前の仕事で、私はディーゼルエンジンの排ガス認証を担当していました。国内・欧州・北米の法規に、一つずつ通していく仕事です。

あの現場で、繰り返し見た景色があります。

同じエンジンでも、国が違えば売れません。

性能が落ちたわけではない。壊れたわけでもない。その国の手順で測り、その国の書式で記録し、認められていない。それだけで、製品として存在できなくなります。

裏返して言えば、認証とは「良いものである」証明ではありません。「決められた条件で測って、記録が残っている」証明です。良し悪しの前に、手続きがある。

6月に表に出たのは、これと同じ形の出来事でした。

止まったモデルは、止まる前と後で、性能は何も変わっていません。変わったのは、渡してよい相手の範囲という、書類の上の線だけです。

AIを性能の表で選ぶ時代が終わるとは思いません。ただ、その表にもう一列、「今そこで使ってよいか」という列が増えた。私にはそう見えます。

わかったこと2:使えるかどうかは、自分では決められない

もう少し具体的に書きます。

そのモデルは、6月9日に公開され、6月12日に提供が止まり、6月30日に措置が解除され、7月1日に戻りました。

私は7月1日から2日にかけて、四つのモデルを試験にかけています。前回の記事に書いた検証です。あのとき使ったモデルの一つは、その前日まで、手元では使えない状態にありました。 試験の予定が三週間早ければ、あの検証は成立していません。

ここで、前回の結論が効いてきます。

測って分かったのは、指示に穴がなければ、モデルの差は消えるということでした。前の世代でも最新でも、同じ答えが返ってくる。

性能の話としては、やや退屈な結論です。けれど、使えるかどうかの話にすると、意味が変わります。

穴のない仕事は、モデルが一つ消えても止まりません。代わりが利くからです。

穴を上位モデルに埋めてもらっている仕事は、そのモデルが消えた日に、止まります。

上位モデルへの依存は、費用の問題だと思っていました。6月は、それが可用性の問題でもあると教えてくれました。

道具は、自分で選べます。けれど、その道具が明日も使えるかどうかは、選べません。

これは米国の規制です。けれど、日本の法律は一行も変わらないまま、手元の道具が止まりました。規制が国内に降りてくるのを待つ必要はありません。もう届いています。

わかったこと3:「AIが言ったことです」は、通らなくなる

ドイツの判断に戻ります。

AI Overviewの回答を、第三者の検索結果の単なる表示ではなく、提供会社が独自に生成した表現として扱い、この事案では提供会社を直接の責任主体とした。その点が重いと思っています。間に自動生成が挟まっていても、出した側の責任が消えるわけではないという判断だからです。

これは大きな会社の話に見えて、たぶん、私たちの話でもあります。

AIに書かせた文章を、自分の名前で出す。AIが作った資料を、自分の判断として配る。そのとき「AIが言ったことなので」という説明が、どこまで通用するのか。少なくともこの事案では、司法の側から一つの線が引かれました。

私は、AIが出したものを人が最後に確認する、という順序を大事にしています。手間がかかるので、省きたくなる工程です。

あの工程は、品質のためだけにあるのではありませんでした。責任を引き受けられる形にするために、あったのだと思います。

おわりに

一つだけ、問いを置いて終わります。

いま仕事で使っているAIが、来月使えなくなったとして、あなたの仕事は止まりますか。

止まらないのであれば、持っているのは道具ではなく、作法です。道具は、替えが利きます。

止まるのであれば——原因は、たぶん道具の側にはありません。その道具に何を預けていたのかが、自分でも分かっていない、ということだと思います。

生成することと、世に出すことは、同じではありません。6月に増えたのは、その間にもう一段、「出してよいか」を別の誰かが決める段が入りうる、という事実でした。

自分で決められるのは、その手前だけです。何を作りたいのか。何が合格なのか。そこは、規制の外にあります。

この月次の整理は、自分の仕事のために続けているものです。まとめそのものは、円卓(QAIラウンドテーブル)の中に置いています。

確認元

AIと人の協働について、構造から考えた記録を、ほかにも書いています。

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