『わたしに戻ってくる』MV公開――「生成できた」と「作品として出せる」は別だった
Aug 25, 2026
一度「完成」と判定されたMVを、私は公開しませんでした。
約3分の映像は、動画ファイルとして問題なく書き出され、事前に定めた検査項目も通過していました。それでも、歌詞がほとんど表示されていない。手指の形が途中で変わっている。玄関の靴の近くから、理由のない湯気が出ている。
私が感じた違和感を一つずつ確かめると、すべて実際の問題でした。
「わたしに戻ってくる」のMVは、そこから作り直した作品です。
曲だけを渡して、すべてを任せた制作ではありません
ここは、最初に書いておきたいと思います。
何もないところへ曲だけを置き、AIにすべてを任せた制作ではありません。
制作を始めるとき、私から渡したのは、4分2秒・20ショットで構成した企画書、完成した約3分の楽曲、9セクション・34行の歌詞です。制作環境も、画像生成、動画生成、映像編集を一貫して行えるローカル環境を、具体的に指定しました。
そのうえで、画面比率、フレームレート、映像演出、字幕、ショットの組み直しなど、制作上の判断の多くを委ねました。
制作条件には、「プロのミュージシャンが作ったかのような品質」という目標も置きました。
これは、完成後に私が自分の作品を「プロ品質」と評価するための言葉ではありません。単なる生成実験で終わらせず、正式なMVとして完成させるために、制作開始時に置いた要求水準です。
最初の問題は、4分2秒の企画と3分の曲でした
企画書は、4分2秒を前提に作られていました。
一方、完成した楽曲を解析すると、実際の長さは約180.6秒でした。およそ1分の差があります。
企画書どおりに20ショットを並べ、それぞれを短くすれば済む話ではありませんでした。場面を一律に縮めれば、必要な余韻まで失われます。逆に、元の場面をすべて残そうとすれば、終盤へ情報が集まりすぎます。
そこで、歌詞の感情がどこで変わるのかを読み直し、20ショットを約3分の曲へ再配置しました。フレーム単位まで詰めた時間設計を作り、作品の中心を次の流れに置きました。
急いでいた人が立ち止まり、森の速度で呼吸し、静けさを受け取り、最後には、その静けさが自分自身になっていく。
この時点で、すでに仕事は「画像を生成すること」だけではなくなっていました。
4分の企画から何を残し、何を縮め、どこに余白を置くか。
最初に必要だったのは、生成よりも編集の判断でした。
一度目の完成では、物語が多すぎました
企画書をもとに、20枚の開始画像を作りました。
湿ったシダの森、青灰色から緑、金色、淡い白へ移っていく光、顔を見せない主人公。映像の中には文字やロゴを生成させず、写実的で静かな映画表現に揃えました。
そこから動画生成AIを使い、一枚ずつ動画にしました。
生成の途中では、後ろ姿の人物が突然こちらを向く、顔や外見が別人へ変わる、カップに存在しない文字が現れる、座っていた人物が勝手に立ち上がる、水面の反射が人影に見える、といったことが起きました。
正常に再生できることと、作品の中で自然に見えることは別です。再生できても、不自然な映像は採用しませんでした。
採用した映像、歌詞、完成音源を編集ソフトで統合し、最初の3分版を作りました。映像と音はつながり、歌詞も入り、公開用の動画として書き出せる状態になりました。
動画ファイルとしては、完成していました。
ただ、作品として通して見ると、別の問題が見えてきました。
ニュージーランドを思わせる森、東京、電車、寝室、ライブハウス、机。4分版にあった場所と意味を3分へ入れたことで、終盤が詰まりすぎていました。
ライブハウスには、「受け取った静けさが音楽になり、人へ届く」という役割がありました。しかし、3分版では、その結末を十分に描けていませんでした。
意味のある場面でも、現在の作品の中で役割を果たしていなければ、残す理由にはなりません。
字幕の位置も場面ごとに動き、長いショットでは人物が動作を終えたあと、次のカットまで待っているように見えました。映像効果を足しても、物語そのものの過密さは解決しませんでした。
足すのをやめ、物語を組み直しました
そこで、20ショットを18ショットへ減らしました。
ライブハウス、電車、寝室、終盤の机、通知や再生画面による説明を外し、ニュージーランドの森を中心とした一本の内面的な物語へ戻しました。
東京は短い中間章だけに残し、最後のコーラスより前に、もう一度森へ戻ります。
終盤は、次の流れへ変えました。
人物の呼吸
動き続ける水とシダ
誰もいない森の道
温かな白
画面は2.00対1の比率に揃え、字幕位置も左下へ固定しました。場面の切り替えは、効果でつなぐより、直接切り替えることを基本にしました。
私が求めていた静けさは、演出を加えることではなく、不要な場所、説明、動きを減らすことで近づいてきました。
AIの合格を、私の違和感が止めました
組み直した映像は、一度、事前に定めた検査項目を通過しました。
それを見た私は、三つのことを伝えました。
歌詞の字幕が、ほとんどなくなっている。
手指の形が、時間の途中で崩れている。
玄関や靴の近くから、意味の分からない湯気が出ている。
改めて調べると、34行の歌詞に対応していた字幕は7項目まで減り、表示されていた時間は全編の12.2%になっていました。
湯気は、編集で後から加えたものではありませんでした。映像生成時の指示に書かれていた「カフェの湯気」「湯気が穏やかに立つ」という言葉が、本来の発生源から離れ、玄関や靴の横へ配置されていました。
手指も、一枚の静止画では正常に見えます。しかし、映像として時間を進めると、指の本数、長さ、触れている位置が変わっていました。
私は、以前の「合格」という判断を撤回しました。
違和感は、それだけで正解を決める判決ではありません。ただ、どこを検査し直すべきかを知らせるセンサーにはなります。
今回は、そのセンサーから調べ直した三点が、すべて実際の問題につながりました。
AIによる監査は、不要ではありません。字幕の数、映像の長さ、黒い画面の有無、音声の状態など、決められた項目を確認し、抜けを減らす前段には使えます。
ただ、最終検収に置くには弱いと、私は考えています。
AIは、こちらが渡した基準の範囲を確認できます。けれど、その基準自体に何が欠けているかを、必ず見つけてくれるわけではありません。
少なくとも今回、AIの基準の外側に残った問題は、私が違和感を伝えるまで検査項目に入りませんでした。
直らないものは、プロンプトではなく構図を変えました
そこから、問題のあった映像を作り直しました。
手指の問題があった場面では、最初に「片手で袖を整える」という、より単純な動作へ変えました。しかし、生成された映像では、終盤で手が袖から離れ、別の手が画面へ入ってきました。
ここで、同じ構図のまま指示文を細かく直し続けるのをやめました。
人物そのものを画面から外し、ベンチに掛けられたコートと、その下に置かれた空の靴を映す構図へ変えました。窓の外では、シダと光だけが動いています。
「急いでいた足音が休まる」という歌詞の意味は残っています。一方で、手指を生成する必要はなくなりました。
欠点を隠したのではなく、同じ意味を別の映像で表現し直しました。
ほかの場面でも、人物の代わりに水辺を置き、手を見せる必要がある後ろ姿では、両手をポケットに入れました。
AI生成の問題を直す方法は、プロンプトを精密にすることだけではありません。
同じ崩れが続くなら、崩れやすい動作を含まない構図へ変える。その判断も、制作の一部でした。
映像では、ずれが目に見えました
今回の問題は、映像だったため気づきやすいものでした。
指の形が変われば、目に見えます。靴の横から湯気が出れば、不自然だと分かります。字幕がなくなれば、画面から消えます。
映像では、ずれが目に見えたからこそ、検査し直す場所を特定できました。
そこで考えたのが、見た目には破綻しにくい文章では、同じ種類のずれを、もっと見逃しやすいのではないかということです。
ここから先は、今回の経験からの私の読みです。
文章でも、同じようなことは起こり得ます。ただ、映像ほど見つけやすくありません。
文章では、指の本数が変わる代わりに、前提が一つ落ちます。
靴の横から湯気が出る代わりに、本人が言っていない理由が、自然な文章でつながります。
字幕が消える代わりに、要約の途中で本人の判断や声が薄くなります。
文章として滑らかに読めるため、問題があること自体に気づかない場合があります。そして、その文章をAIに監査させれば、文法や構成は整っているとして、合格になるかもしれません。
だから私は、映像でも文章でも、AIの「合格」を最終判断にはしません。
AIによる確認のあとに、自分で現物を見て、何かおかしいと感じたら、その理由を調べます。
作り直した末に、自分の作品として出せるところまで戻りました
最終版では、34行の歌詞に対応する字幕をすべて戻しました。
字幕は左下へ固定し、温かみのある白色で表示します。位置は動かさず、出入りはフェードだけにしました。間奏には字幕を置いていません。
発生源のない湯気は取り除き、カップの場面にだけ、カップと物理的につながった湯気を残しました。
新しく生成した映像は、静止画だけでなく、時間を細かく進めながら確認しました。手指、人物の変化、湯気、黒い画面、時間帯、反射を見直しました。
180.58秒|1920×1080|24fps|全4,334フレーム
公開用の映像だけでなく、再編集できる形での保存や、採用しなかった素材、検証の記録も残しました。
一度生成して終わった作品ではなく、判断を戻し、作り直した跡は残っています。
最後に戻ってきたもの
このMVでは、AIが制作工程の大きな部分を担いました。
私は一枚一枚の映像を手で描いていません。すべてのカットを、自分で操作して作ったわけでもありません。
一方で、何を作るかまで白紙で任せたわけではありません。
企画書、完成楽曲、歌詞、制作環境、品質目標を先に渡しました。そのうえで制作判断を委ね、出てきたものを見て、採用と不採用を決めました。完成という判断を一度取り消し、物語を組み直し、検収基準を増やし、構図そのものを変えました。
最後に、この作品を自分の名前で出すかどうかを決めたのも、私です。
曲の題は、「わたしに戻ってくる」です。
今回、制作の最後に戻ってきたのは、作品を世に出すかどうかを決める、私自身の判断でした。
その判断まで含めて、このMVを自分の作品として、ここに置きます。
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